冷蔵庫の電源を抜きました

 
もうじきぼくは、住みなれた北海道を離れ、福島県の喜多方という町に移ります。
18才のときに北海道へ渡り、今年で22年。
気がつけば、カンサイ人であった年数よりも、道民歴のほうが長くなっておりました。
 
 
カンサイ出身の道民ということで、そのことについては、たびたび人に聞かれたものです。
「いつかは神戸に帰るんでしょ?」。
「もう北海道に骨うずめるんだべさ?」。
たいていはこのいずれかで、ぼく自身、このさきずっと北海道に住みつづけるものとばかり思っていました。
人生というのはわからないものです。
 
 
震災がぼくの行動になにか作用をしたのか、それはわかりません。
作用は無かったと言えば、嘘になるでしょう。
遅かれ早かれ、ぼくはこちらの方へ進んでいたような気はしますが、その意志の強さを測る、秤の役割をしたとは言えると思います。
 
 
文字にすると重たく聞こえるから、言葉はいつも慎重に選ばなくちゃいけない。
誤解や解釈の違いを恐れずに言うと、消費社会とか、市場が幅を利かせてる世界とか、そういうものと少し距離を置いた暮らしができたらなと、考えています。
グッバイ・マクドナルド、グッバイ・セブンイレブン、グッバイ・ダイソー、グッバイ・イオン。
そういうこととは、ちょっと違うのだけど、ま、いいや。
それは今ここで話すことじゃない。
 
 
それからこれは、「もし出来ることなら」なのですが、暮らしの中心で農業に関わることができればいいなと、思っています。
もちろんその困難さといいましょうか、事の重大さは重々理解しています。
言うは易く行なうは難し。
その言葉の意味を体現するだけで終わるかもしれません。
だとしても、やらなくてはいけないと考えています。
どういう形であれ、農業に関わることは、ぼくにとってとても重要なことなのです。
 
 
今ここには、地図もコンパスもなくて、星を見あげて方位を知るのが精いっぱいです。
それでも、目的地の方向を見失わず、そして現在地を正確に測ることさえできれば、歩くのをやめないかぎりいつか目的地にたどり着けることを、ぼくは知っています。
そのためにはまず、足を前に出さないとね。
 
 
北海道でやり残したこと、いっぱいあります。
赤井川カルデラのヤブヤブ外輪山をスキーで踏破して輪っかを描くというのは、学生時代から温めてたプランでした。
流氷の上にテントを張って一晩すごしたかったし、小樽で言えば松倉石にも登りたかった。
三石羊羹、千秋庵のノースマン、壺屋のき花、末武のガトーオノア、もっともっと食べたかった。
樻里花のイカスミカレー、ピアットのクアトロフォルマッジオ、まほろの塩ラーメン、もう一度食べたいよ。
これだけあれば、北海道に遊びにくる口実としては十分かな。
 
 
山でお会いした方、町でお会いした方、BlogやSNSで繋がった方々ともっと遊びたかったし、一度もお会いできなかった方とはお話もしてみたかったです。
今までより、オンラインにあらわれることは少なくなるかもしれませんが、もし見かけたら、かまってやってください。
Blogは続けるつもりでいます。
 
 
そろそろ時間です。
では、ひとまず、これにて。
 
 
これからも、山にいい雪が降りますように。
町には、あまり積もりませんように。
 

点と線

 
昨年お仕事で、偶然お会いしたデザイナーさんのテキスタイルが使われたカバン、やっと見つけました。
 
 
道草という名前の模様
 
 
模様が生まれるその現場で聞いた、すぐそばにある植物のお話。
光や水や花や鳥、それに森の木々の話。
そこではクリエイティブという言葉はあまりにも安っぽくて、ぼくは頭の中で何冊も辞書のページをめくったのだけど、結局ふさわしい言葉を見つけることができずに、ただため息をつくばかりでした。
 
 
このカバンも、とても大事なものだけど、あの日あの場所であの時間をすごせたこと、それがぼくの宝物です。
 

暗闇を歩くために

 
「女川原発が動かねぇと、俺たちの工場に電気は回ってこない。みんな生き残ったのに、社員全員クビにするしかねぇんだよ」と声を荒げていた、笹カマ工場の社長。
 
不通になった仙石線の線路に腰掛けて、「いま汽車が来たらどうなるかねえ」と表情無く呟いた男性は、もう仮設には戻りたくないと話を続けた。
 
5カ年の農地復旧計画にもれた農家に、あなたの農地は復旧の見込みがないので何もしませんなんて、自分には言えないと、地図を広げて体を震わせていた役人。 
 
まだ暑さが残るころ、道路脇にタクシーを停めて、出てきた運転手は、瓦礫に埋もれたコンクリートの階段を上がっていった。
タクシーは、くる日もくる日も、そこにあった。
数ヶ月後、同じカラーのタクシーがやってきて、置き去りだった車を移動した。
運転手は、失踪したそうだ。
 
 
 
ぼくがこの冬、出会った光景には、救いなんてまったくない。
ぼくはその場にいて、何も言えなかったし、何もしなかった。
1年前、遠くにいて感じた無力感が、そのたびによみがえってきた。
すぐ近くにいるのに、あのときと同じ無力感を味わっていた。
 
そして1年。
この無力感は変わらない。
昨日も今日もテレビは見てないけど、きっとぼくのこんな暗い話しよりも、ずっと滋養に満ちた番組を放送しているだろう。
おそらく、上着のポケットぐらいの温もりもあるだろう。
小さくても確かな、希望の光を、みんなの心に灯したはずだ。
これは皮肉じゃない。
 
けれどぼくが見た、救いようがない、希望のかけらもない、暗黒の淵に墨が染みこんでいくような光景も、一つ一つの現実なんだ。
そして今日も、明日も、同じような現実がいくつも、誰に知られることなく、暗がりの中を歩いているだろう。
 
何もできなかったぼくが言うことじゃないけど、忘れないことが大事と言って何もしない、もうそういうわけにはいかないんじゃないか。
2年目が始まる今日、ぼくは、ぼく自身に、そう問いかけている。
どうすれば暗闇のなかを、歩くことができるのか。
 

翁倉山で紅葉狩り

  
栗駒も泉ヶ岳も白くなって、いよいよ宮城の山の紅葉も終わりが近づいてきました。
出張サラリーマンのハイキング装備じゃ、もう高い山は登れません。
北上川が海にそそぐ旧北上町と登米市の境界にある、翁倉山に行ってきました。
  
  

紅葉の翁倉山

紅葉の翁倉山


  
  
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さらば寿司、ようこそ牛タン

長期出張?、短期転勤?、単身赴任?。
とりあえず、年内は牛タン食べてますよ。

出張先

さすがは太平洋側、雪はほとんど積もらないらしいし、冬場の晴天日数もかなり多いんですって。
というか、小樽が雪多すぎるんだとは思うけど。

それでは出発です。
どうかみなさま、お達者で~。

すいか糖は共和町の秘宝です

  
「知る人ぞ知る」
これはまさに、すいか糖のためにある言葉です。
  
  
道の駅などに置いてある、フリーの観光マップみたいなものによく載っているので、後志近郊の方ならその名前ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。
ぼくもその一人で、存在自体は以前から知っていたものの、どこに行けば手に入るのかという情報がまるでなく、いつしかすいか糖は「まぼろし化」していったのです。
しかしこのたび宿願かないまして、ついにスイカ糖を手に入れることができました。
  
  

スイカ糖

スイカ糖


  
  
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比布岳、北鎮岳、そしてお鉢、大雪山を満喫する

  
おはようキツネくん。

おはようキツネくん。

おはようキツネくん。


  
  
近くで音がすると思ったらキツネくんでした。
朝一番、テントを開けて動物と目が合うなんて、なんか素敵な一日が訪れる予感めいたものを感じます。
予感めいたもの・・・。予感めいたもの・・・。
  
  
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愛別岳に登って時間切れになるも想定内

  
あまり知られてはいませんが、愛別岳は我が国最北の2000m峰だそうです。
そしてもうひとつ、大雪山の範囲をどこまでとするかにはいくつかの議論がありますが、石狩川をその境界とするならば愛別岳は大雪山北端の山となります。
  
  

愛別岳

愛別岳


  
  
主脈からは外れているものの、たおやかな山がほとんどを占める大雪山にあって傲然屹立とした山容は異色の存在であり、麓の大雪アンガス牧場から見る愛別岳は、絵に描いたようなアルプス的風景です。
  
  
ところがこの愛別岳、大雪山の登山中にはまずその全貌を見ることは出来ません。
というのも、大雪北方稜線から愛別岳へ向かう分岐点のほうが、愛別岳山頂よりも高いからです。
北方稜線が壁となってしまうわけです。
  
  
それゆえにこの愛別岳、目標を見ることなくはるばると歩を進め、本当にすぐ近くに来て突然その姿を目にするという、とても劇的な登山になることを期待して、計画を立てました。
まぁそうは言っても、山に行こうとしたのも計画を立てたのは直前なんですが。
  
  
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