暗闇を歩くために

 
「女川原発が動かねぇと、俺たちの工場に電気は回ってこない。みんな生き残ったのに、社員全員クビにするしかねぇんだよ」と声を荒げていた、笹カマ工場の社長。
 
不通になった仙石線の線路に腰掛けて、「いま汽車が来たらどうなるかねえ」と表情無く呟いた男性は、もう仮設には戻りたくないと話を続けた。
 
5カ年の農地復旧計画にもれた農家に、あなたの農地は復旧の見込みがないので何もしませんなんて、自分には言えないと、地図を広げて体を震わせていた役人。 
 
まだ暑さが残るころ、道路脇にタクシーを停めて、出てきた運転手は、瓦礫に埋もれたコンクリートの階段を上がっていった。
タクシーは、くる日もくる日も、そこにあった。
数ヶ月後、同じカラーのタクシーがやってきて、置き去りだった車を移動した。
運転手は、失踪したそうだ。
 
 
 
ぼくがこの冬、出会った光景には、救いなんてまったくない。
ぼくはその場にいて、何も言えなかったし、何もしなかった。
1年前、遠くにいて感じた無力感が、そのたびによみがえってきた。
すぐ近くにいるのに、あのときと同じ無力感を味わっていた。
 
そして1年。
この無力感は変わらない。
昨日も今日もテレビは見てないけど、きっとぼくのこんな暗い話しよりも、ずっと滋養に満ちた番組を放送しているだろう。
おそらく、上着のポケットぐらいの温もりもあるだろう。
小さくても確かな、希望の光を、みんなの心に灯したはずだ。
これは皮肉じゃない。
 
けれどぼくが見た、救いようがない、希望のかけらもない、暗黒の淵に墨が染みこんでいくような光景も、一つ一つの現実なんだ。
そして今日も、明日も、同じような現実がいくつも、誰に知られることなく、暗がりの中を歩いているだろう。
 
何もできなかったぼくが言うことじゃないけど、忘れないことが大事と言って何もしない、もうそういうわけにはいかないんじゃないか。
2年目が始まる今日、ぼくは、ぼく自身に、そう問いかけている。
どうすれば暗闇のなかを、歩くことができるのか。